趣味を始めました。お勉強です
【技術英語検定1級】と【色彩検定3級】の勉強を始めた。
特に取得の義務はないし、就活もしていないので直接的な実利はないだろう。
完全に趣味である。
昔、漢字や四字熟語を暗記するのにハマった時期があり、中3の時に漢検を受けた。
当時は、勉強に苦労していなかった時代だったが、それでもとにかく【合格】や【A判定】など、自分の能力を肯定的に評価されるのは嬉しかったし、それだけで自尊心が高まった。
世の中たしかに、”お勉強”がすべては無い。
むしろ近頃は進学校に進むと”お勉強”している”おぼっちゃん”みたいな謎のレッテルを貼られたりする。
僕自身、博士後期に進学するにあたって、家族からも「社会に出たほうが良い」とか「勉強好きだね」といった言葉をもらったりする。でもこれは、進学校の高校生に「”お勉強”でもしてろ!」という非進学校の人間の視点と変わらない気がする。
結局、自分が知らないことをしている人間は正しく評価することができないのだ。
大学院は勉強するところじゃない。研究をするところである。こんなこと家族に言ったって誰も理解できない。大学卒の人間でも半分以上は大学院の研究というものが理解できないだろう。社会的に極めてマイノリティである。
研究活動は分かりやすい評価を受けない。君は何点 とか 君は何人中何位 というようなスコアリングは受けない。だからこそ不安になるし、自分の研究が正しいものなのか、悩ましい部分になる。
これに対して検定試験は、研究の全く真逆である。小中学生が行っている”お勉強”と本質的に同じである。
だからこそ、必ず点数が出る。合否がでる。
答えがないことをやっているからこそ、答えのある試験の良さが理解できる。
叱ってくれて褒めてくれる人間がいるようなものだ。
今年の冬、11月頃に試験がある。それまでにコツコツと勉強をしよう。
深層心理に在する自尊心が、大人になった僕たちを支配する?
5カ月ぶりの更新
世界は、このブログの前回の更新に時には全く言葉も聞かなかったウイルスによってパンデミックに直面し、混沌とした新年度を迎えている。
COVID-19(コロナウイルス=CoV)2019年流行ー新型コロナウイルス感染症によって、世界各地でパンデミックが起こっている。これは数年前に流行したSARSをはるかに凌ぐ勢いで日本にも流入した。
はじめ、発生源である中国が甚大な被害を被り、その後世界各地に飛び火。スペイン、イタリアは医療環境の問題か国民性か、爆発的に感染者・死者が増加。今では(報告されている限り)中国の被害を優に超えてしまっている。世界各地で緊急事態が宣言され、現在では米国が世界で最も被害者の多い国になった。
米国の被害の多さは、持ち前の米国的自由主義の弊害ともいえるものだろう。莫大な医療費と貧困層の多さは、米国と感染症の絶望的な相性の悪さを露呈した。大統領のトランプにとって最も興味もない南部の有色貧困層が最大の被害者である点も、米国が大々的に対策に乗り出せ(さ)ない理由なのかもしれない。かつて前大統領バラク・オバマが打ち出した、日本など外国の医療保険制度を模倣した[オバマケア]が今生きていれば、少しは状況も変わったのかもしれないが、、、、
こんな混沌とした様相の中、日本も『新自由主義』と『日本的世間観』と感染症の相性の悪さも露呈した。必要なところに財を集中し、将来性確実性のない所は切り捨てるという選択と集中を続けてきた日本は、パンデミックの対策を怠りさまざまな分野(特に教育・福祉面)に甚大な被害が出ている。日本人の[お上の一言に従う能力]の高さによって被害は相当程度抑えられているが、それゆえに今回の政治的教訓が十分に得られているのか不安もある。
選択と集中という新自由主義的手法は、このようなイレギュラーな災害に対応するのに向いていない。当然、予想ができないからである。起こるかわからない災害に対策することは新自由主義の中では無駄だからである。 かの大地震の時も時の政権は『想定外の事態』と発言し物議を読んだが、当然それが新自由主義の考え方なのだから仕方ない。
そんな中、僕の身の回りで面白いほど個人の人間性が垣間見えるイベントが起こっている。自分とは異なるような人の性格や趣向が見えるイベントは面白い。
僕の友人のなかには『他人と違うことをやってやりたい』という意思が強いひとが結構いる。それは、僕がそう言ったタイプの人間が好きだからという事が理由としてあるのかもしれない。裏を返せば、僕は全くそういうタイプではないのである。僕自身が何かをかっこいい・面白いと思えたなら、たとえそれがミーハーなものでもニッチなものでも好きなものは好きだし、逆もまた然りという事になる。他人と違うかどうかはどうでもいいことなのだ。
しかし、僕の周りに一定数いた『他人と違うことをやってやりたい』タイプの人たちは、そうではないように見える。そういう人たちは自分の行動規範のかなり上位の部分に、他人と同じか否かという検討が入っている印象である。
さらに、僕の勝手な印象だが、そういうタイプの方々は明らかに身勝手な行動を、「自分は他人と違う」という考えのもとに選択している気がする。大学を中退したり、金を破滅的に浪費したり、、と。
そして僕の最近の私見としては、そういうタイプの人は最終的に皮肉なことに大衆に迎合した活動に終始する。ということである。
ある知人は、大学を中退し映像制作者として活動していた。僕の眼には、彼は言い訳が上手い人のように見えていた。好きなことを理想的な形で続ける難しさから目を背け、ありもしない虚構の未来に向かってゆっくりと降下しているように見えていた。ある程度の金があれば、ガムシャラに好きなことを続けることはできるかもしれない。ガムシャラでも続けることもすごく大変だし、もしかしたら王道を行くより遥かに苦労する。その苦労が、悲しくも彼自身を安心させてしまう。だが実際のところ、苦労が必ずしも人間を前に進めるとは限らないのである。”他人とは違う”彼が盲目に精進し、行き着いた先は、時流に乗った大衆受けするものだったようだ。
映像制作プロデューサを自称する彼は、最近某有名俳優がネットに投稿し流行した動画を元に数百人の一般の協力を募った心温まる動画を公開した。動画を見ればどれほど労力のかかったことかが分かるほど、力作であった。 当人の持ち前の行動力とコミュニケーション能力の底力を感じさせるものであった。その苦労も報われ、その動画が某有名俳優の目にも届き、ネット上では一定程度の反響が得られていた。 当人も満足気だし、まるで天下を取ったような振る舞いさえしている。(もともと何かを達成すると気が大きくなり、失敗するとやけに小さくなる性格であった。)
しかし僕からすれば、この様子は結構残念であった。『他人と違うことをやってやりたい』から、王道を捨ててその道に至ったんじゃないか? ネットで流行っている流れにのっかって、ネット上でいい反響が得られて満足なのか? そんな一過性のオナニー活動で留飲を下げることくらい、その辺の大学生でもできることなのに、、、。
映像作家としての製作した過去の作品より今回の作品が遥かに反響があったという事は、自分の芸術的感性や創作力が、大衆の流行(自分以外の創作物)に下回っている事を示しているではないか。
...
結局のところ、『他人と違うことをやってやりたい』という感情が行動の動機になるタイプの人は、オリジナリティの形成の仕方に何かしらの欠陥があるように思える。
自分の考えや発想、想像力に魅力的なオリジナリティがあるなら、好きに活動することが必然的に「他人と違う事」になる。「他人と違う事」をやりたい人は、裏を返せば【自分に自信がない】のではないだろうか。
人間は他人とは違うということは当たり前の事であり、生まれたときから達成されているはずである。『他人と違うことをやってやりたい』という発想の根底は、おそらく『他人にできないような分野で活躍したい』という事のはずだ。 この『活躍したい』という部分がミソであり、いくら他人と違う分野にいようが活躍できなければこういった人たちの自尊心は右肩下がりに降下していってしまうのだ。
例えば大学生が(『他人と違うことをやってやりたい』という動機で)学校をやめて俳優になったとする。そうすればその人の周りはほとんど俳優だらけになってしまう。自分が他人と違うのは大学を辞める瞬間がピークであり、引っ越した先の世界では当然自分もマジョリティの一員なのである。
人間どこに行ってもマジョリティを抜け出すことはできない。(自宅に引きこもっている場合はそうではないが)
その場合、なにが自分を満足させてやれるのか。この時、結局根底にあった『活躍したい』というような発想に至る。あるいは『注目されたい』『すごい存在でありたい』なのかもしれない。その目標は、どの領域にいようと王道の努力を積まなければ達成できないはずだ。何かになるためには、相応の能力が求められる。能力はどこかに理想郷に行けば簡単に身につくものではないはずだ。 最終的に求められることは、大学から逃げ出したその人がもっとも嫌いなはずの王道の努力
重要なのは、分野人口の少ない世界に行くことを否定しているわけではない。ということだ。しかし、大学生の多くは、こういった分野人口の少ない、ある意味ギャンブル性の高い芸術分野に行く人が多いから、それを例にとっただけである。
本当に好きなことを見つけたから、その世界に行くという事なら、何も後ろめたいことはない。
.....
しかし僕はどうだろうか。大学に入学し、普通の運動サークルと文化部に所属し、成績は下の中。大学院に進学し、修士2年。これは「他人と同じ」「王道」なのか?
そんなことはない。大学院生になった時点で、日本の中でも世界の中でも十分マイノリティだ。そして僕はいま博士課程に進学しようとしている。ますますマイノリティだ。27まで学生を続けること、奨学金という名の借金を負いながら9年間大学に通う事。こんなマイノリティなかなかない。
王道の行き着く先は圧倒的邪道ではないか。
落としどころ見失ったし、書くの疲れたので今日はここまで
ブログってどうやって書いてたか忘れて
しまったなあ~
理解という幻想
結局、とどのつまり
人間の理解というものは人間の手に届く部分
その手元の上にあるものでしかない。
本質的な理解など存在しない。
他人、家族、恋人、自分自身さえ。
理解できないことは山ほどある。
理解できない。納得できない
そんなことばかり
でもそれは当たり前で、それが人生
理解できるわけがないのだ
正解などないのだ
ただ解釈だけがそこにある。
解釈だけだ。
味噌ビン半チャン 瓶ビール
9:45 れんぼーの前についた。お別れみたいだからお土産とかは何も持ってこなかった。不安なのか、寂寥なのか、恐怖か、なんとも言えないような、面と向かって対峙したくない感情に苛まれ、並ぶのをやめようかと何度か考えた。
後ろに偶然高校の同級生がいたが、気付かないふりをしてしまった。こういうところが友達いない原因だが、どうにも話す気分じゃなかった。
10:03 待ち合わせた先輩が現れる。
他愛もない話をして時間を待つ。ジリジリと痛むような日差しの中、開店を待つ。10:50、マスターが現れ、整理券が配られた。番号は21番。これに特に感想はない。
今まで整理券配布なんてことが無かったから、なんとも恥ずかしい気持ちになった。
マスターは僕を見て、「あぁ、たくみちゃん、来てくれたのねぇ〜ありがとよ」なんて肩を叩いて、僕は恥ずかしくて、 あぁどうも てな感じでテキトーな対応をしてしまった。こういうところも友達いない原因か。そんな反省をしながら待った。
11:20くらい、席が空いて店の中に入れた。
悩んで、頼んだのは味噌ビンビン半チャンと、瓶ビール。
ビールは、高校時代の自分との決別、とまではいかないが、もう大人なのだという そんなような ふんわりした別れの気持ちで頼んだ。
本当はマスターに、大人になっていく自分をずっと見ていて欲しかった。
高校時代、幼い戯言を偉そうに語る僕を、否定もせず対等におしゃべりしてくれたマスターは、ある意味で父であり、友であり、仲間だった。「おれはマスターみたいになりたい。」「奥さんみたいな嫁さんが欲しい。」「いずれれんぼーを継ぎますよ」なんて、バカみたいに話していたのを、よく覚えてる。
何も知らないのに政治のことや教育のこと、一高のあーだこーだ、なんでも話した。それをずっと聞いてくれていた。
れんぼーが一高生でごった返すのが本当に好きだったから少ない友達を誘って一緒にラーメンを食った。高校でもみんなにれんぼーを宣伝して回った。「たくみちゃんのお陰で一高生増えたのよ」なんて、お世辞でも言ってくれたのが嬉しくてニヤニヤしていた。
れんぼーのメニューはぜんぶ制覇した。ラーメンだけじゃなく野菜炒め定食や肉ニラ定食みたいな、定食メニューが実はかなり美味いってことを知ってる人は少ない。肉ニラを、食べた後、残った汁にスープを足して、米にかけて食べるのがサイコーだ。
仙台に帰るときは必ずと言っていいくらい行った。故郷だから。黄金の思い出が山ほどあるから。
沢山の思い出が蘇り、ビールを飲んで感情を誤魔化した。
ビンビンメンは相変わらずアツアツで、辛くて美味しくて、ニラとラー油の香りでノスタルジーが掻き毟られる。チャーハンは言うまでもなく世界一うまい。言葉も出ない
席を立つのは悲しかったが、マスターの迷惑になる方がもっと嫌だからすぐに出た。
「ごちそうさまです。じゃあ また」
厨房には聞こえなかった気がする。
僕はぎこちない引きつった笑みを浮かべる。そのまま会釈をして店を出る。煮え切らない。
でもこれでいいんだ。僕ってこんなんだから。
嫁と子供を連れて来る。
その夢は果たせなかった。
そりゃそーだ。仕方ない
マスターは、これからは定期戦見に行くから、そこで会おうって言っていた。
定期戦に嫁と子供を連れて行く。
この夢は果たせそうだ。
黄金の思い出を作ってくれたマスターに、奥さんに、心からの感謝を。
2019. 08/23. 01:30
爪を切っていて、ふと、昔のことを思い出した。人に爪を磨かれている記憶がなぜか浮かび、なんとも言えぬ気持ちになった。その人は、僕の爪の根元まで、痛いくらいによく磨き、ピカピカになるのを喜んだ。
僕はそれが痛くて、すこし痛がる素振りを見せたが、しかし手を握られ、じっと爪を磨かれるというただそのことがなんとなく好きでいた。
あの時ぼくはたしかに、幸せを感じていたことを思い出した。強く、恐ろしく、陰々とした記憶に塗りつぶされ、忘れていた記憶であった。
思い出せたことが、すこし嬉しかった。
なぜ、あの時間が幸福だったのか。
たぶん、強い圧迫感や緊張、責任感に押しつぶされ、孤独を感じ、家族にも友達にも心を開きかたを忘れていたときに、その人が現れたからなのかもしれない。
正直よく覚えてない。
勝手なことを言うなら、人に手を握られるだけの時間があれば、ただそれだけで相手が誰でも幸せだったのかもしれない。
皮肉にもあの破壊的な性格が、きっかけとしてそのイベントに辿り着かせたのだろうか
孤独であったのだろう。ぼくは
そして、いま僕は、またその孤独に近づいている。
ひとは何かに没頭すると、孤独になっていく。それは当然のことで、没頭するということは即ち自分の世界に潜るということだ。潜れば潜るほど周りには誰もいなくなっていくからだ。それでいて没頭することは本当に楽しく、人生の至上の楽しみであろうとさえ思う。しかし、没頭には孤独が必ずつきまとうのだ。
ふと見回すと自分の周りには誰もおらず、寂寥という匂いが立ち込める荒野に ぽつん と立っている気分になる…
この孤独に耐えながら、あるいは目を背けながら、没頭を越えた先の至上の幸福に辿り着き続ける生き方を選ぶか。或いは孤独を嫌い、ひとと共感を共にすることで安寧を得続ける世界にいくか。
きっと僕には前者が向いている。
高校時代、独善的で、身勝手で、後悔だらけだったが、それでも胸を張って幸せだったと言える3(4)年間だった。辛かったのは、没頭できる組織に入る前の数ヶ月。そして引退した後の虚無感だけだ。
対して、学部の三年間、没頭できるものが見つからず、内心では鬱々とした生活をした。高校時代と比べれば、友達といえる友達は少なかったかもしれないが、なんと多くの人間と接したことか。人を家に呼び、人の家に行き、朝まで楽しくもないゲームをし、笑いあった。たしかに幸福だった。しかし無我夢中の没頭はなかった。
いま、僕は没頭に潜っている。たまに孤独を感じている。
しかもそれだけでない。皆が卒業し、社会に出て、本当に好きなことではないことを仕事にしている人もいる。没頭とは無縁の世界に、皆が羽ばたいていく。物理的に人と離れていく。
最近、心から愛したラーメン屋が閉店ことになった。
幼少期、家族で通った中華料理屋も、すこし前に閉店した。
実家では家族の形がすこし変わり、すこしずつすこしずつ、故郷の姿が変わっていく。
帰る場所が、朧げになっていく。
大人になるってそういうことなのかもしれない。今後、幾度となく来る悲しい別れに、どう向き合っていけるか。それが人生なのかもしれない。
0から100までのスゴロクを一歩一歩歩いていくのが人生なら、進めば進むほど、ふりだしは遠く見えなくなっていくのは当然で、今まさに幼少を過ごした故郷に霞がかかってくる時期なのだ。
過去に目を凝らし続けることも出来るだろうが、時間は当然巻き戻せるものではない。
前を向かなければならない。
人がいなくなった部屋を見て、
こんなに広かっただろうか
なんていう歌謡曲があるが、今日は部屋を見回して、狭くなった気がした。
懐かしい記憶は美化される。夜に大勢人を呼んで、ぎゅうぎゅうになって酒を飲んで、あの時、なんだかんだ楽しかったんだ。
飲む場所がなくて仕方なく俺の家になだれ込んできたヤツらと 早く帰らないかなぁ と思いながら酒を飲んだ日々も、大喧嘩してなりふり構わず怒声を上げた日も、懐かしく感じる。
もうこの部屋は、スゴロクでいえば、今いるマスの直前の数マスになっていて、振り向けばすぐゴロゴロと想い出が転がっているような、立派な僕のもう1つの故郷になってきている気がした。
爪切っただけで疲れた。