老害のはじまり

先輩のブログを見て始めることにした。

日記か メモ書きが とくに用途は決めたくない。

 

徒然なるままにというやつにしよう。

 

今日は卒後七年目の定期戦前夜の団室に顔を出した。

若い力と、昔との差に心打たれ、なにか強い寂寥感にかられた。

 

化学に没頭するあまり、くだらない人間になっていまいか? など考えたが

その考え方は観点が間違えていると気づく。

 

応援団ふくめ、なにか組織にいるということは、船漕ぎと同様。 乗る船は変わらずとも漕ぎ手が変わる。 力や手癖、素養が異なれば漕ぎ方は当然変わる。それが変化というもの。

 

時代が変わればやり方は変わる。

 

高校時代からの、【時代のせい】にするのが嫌いだったが、しかし時代が変わるのは認めねばならない。

 

  船に当たる波の強さや向き、波の温度や波長、風向きや湿度は刻々と大きく変わる。

しかし、その荒波の中、船を漕ぐものは、

自分の目的地を環境のせいにして船を流るるままにしてはいけない。その船はいずれ波に飲まれ消え果ててしまう。時代に合ったやり方で、目的地を野心的に追い続けねばならない。

 

老害と言われる人間は、それがわからず、自分が船を漕いでいた時代のから環境が変わっていることに気づかず、的外れな意見を声高に押し付けてくる愚かな人をいうのだ、きっと

 

 

ぼくは生涯一高生。

しかし僕の一高は茶畑ではない。

今僕は、新たな船を漕いでいる。

この船を沈めないように、漕ぎ続けねばならない。